痴漢→逃亡

最近、電車で痴漢と言われて線路に逃げるとかビルから飛び降りるとか、物騒?なニュースを繰り返し聞くわね。
なんかテレビで弁護士が逃げろと言ったのかな。
電車で痴漢と言われた時にどうすればいいのか。これは弁護士業界では古典的な課題やで。
確か、以前も記事に書いたような気がするわ。
そもそも、痴漢冤罪はニュースになるけど、痴漢真罪?なんていうのかな、本当に痴漢をやった場合は。
そういう場合はニュースにならないのよね。
そもそも、ニュースになるのは珍しいからや。昔から言うやろ。犬が人を噛んでも話題にならないが、人が犬を噛んだら話題になると。
痴漢冤罪は確かに存在する。それを如何に防ぐか、それは弁護士の本領や。
ただし、痴漢と言われて冤罪なのは、本当に珍しい。体感で0.1%以下ではなかろうか。
冤罪かどうかは本人と神様にしかわからない。いずれにせよ、痴漢と言われてノコノコと鉄道警察員についていったら、有罪コースまっしぐらなのは確かね。
そして、本当にやったのなら、それでいいわけよ。
ただ、やってないのに痴漢と言われた場合は…
そこが問題や。この状況でどうやって有罪コースから逃れるか?
.魯鵐汽爐亮分は突如回避のアイデアがひらめく。
⊆りの人が痴漢でないことを証言してくれる。
2麋鬚任ない。現実は非情である。
選びたいのは△世韻鼻期待できないわね。無関係の他人が都合よく痴漢?の状況、それは他人が痴漢していたのか、何も起きていなかったのか、それを目撃して、テレビドラマのように証言してくれる、というわけにはいかないわね。逆にその人が真犯人に逆恨みされたり、被害者?に恨まれたりするかもしれないわ。
やはり答えは,靴ないようね。
そのアイデアが線路に飛び降りてでも逃げるっちゅうことなんやろうが、それで逃げ切れなかったらどうする。鉄道会社から損害賠償請求される可能性も出てくるで。もちろん痴漢も有罪コース。ハイリスクハイリターンや。
つまり、答えは。答えは。答えは。
いや、そうでもないからw
とりあえず、すぐに弁護士を呼ぶことね。弁護士が来るまでは完全黙秘。何をどこまでなら言っても大丈夫なのか、素人には判断できないから。
それと、しばらく家にも職場にも帰れないことを覚悟すること。戦わないと勝ち取れないものはあるのよ。
認めれば釈放してやるよ、という警察の誘導に抵抗できるか。人生の選択や。
言っておくが、痴漢を認めて得られるものは何もないで。釈放されたからといって、家庭や職場がもとどおりだと思うか?
なお、一旦認めたら裁判で無罪を勝ち取るのはほぼ不可能やからな。
繰り返しになるけど、痴漢をやってない場合は戦うべき、ということだからね。やったのなら、戦わずに現実と向き合いなさい。
そして、ニュースになる逃亡事案は、確率的に、やった場合である可能性が高いということ。これは踏まえた上でニュースに向き合うべきでしょうね。

当番弁護

昨日は当番弁護で出動したわ。
逮捕されたら、とにかくすぐに弁護士を呼ぶこと。正確には、警察官に言って呼ばせること。何かに署名押印する前にね。
弁護士費用については心配しなくていいから。
警察官は、被疑者には弁護士を呼ぶ権利があることを最初に告げにゃならん。
それがどこまで実行されているか、ちゅう問題もあるが、普通の人は逮捕されたら頭がパニクってるから、たとえ実行されても頭に入らん。
よくあるパターンやな…
それで、「やってない」のに「やりました」という調書に署名押印しちゃうのよね。
警察も、すぐそういう調書を取るからね。被疑者の記憶が鮮明なうちに取るということだろうけど、まず弁護士に相談させてから、ということにしてほしいところね。
まあ、そんな甘い対応はしてくれないんだけど…
警察というのは、敵なんやで。そこを普通の人はわかっとらん。普段、健全な市民として暮らしている人ほど、全くわかっとらんのや。
逮捕された瞬間から、目の前の警察官は、あんたの敵なんや。警察官はあんたを犯罪者と認定済みで、いかに自白調書を取るか、それしか考えとらん。
それは、その警察官が悪人だからじゃなくて、警察官とはそういう仕事なんや。
「やりました」という調書に署名押印してしまった場合、それを引っくり返すのがどれだけ難しいか。世の中の冤罪事件のほとんどは、「やりました」という調書があるのよ。
「やってない」のに「やりました」という調書に署名押印する。これがどれだけ「起きやすい」ことなのか、これも普通の人はわかってないわよね。自分がその立場になって、初めてわかるんだけど…
時既に遅し、やな。逮捕されて狭い部屋で警察官に囲まれて、調書への署名押印を平然と拒否する。これができるのは、893と弁護士くらいやろ。普通の人には無理や。弁護士の助けを借りて、ようやくなんとか…というところなんや。
ただし…
ただし?
本当にやったのなら、素直に「やりました」と言うことを勧めるで。
やってない件でもやったとして有罪にもっていくのが警察・検察やからな。本当にやった件でそれを免れることは到底できん。
抵抗しても何もいいことはないで。
まあ、それはね。
真相は本人にしかわからないから、そういうことを言っても仕方ないけどね。

リベンジポルノ法

昨日のインターネット法律研究部は「リベンジポルノの現状と対応」と題してT先生のご講演だったわ。
リベンジポルノは、刑事的には名誉毀損にも猥褻物頒布にも児童ポルノ法違反にも該当しない場合があるからな。
本質はプライバシー侵害やろうが、それは刑事的には処罰の対象になっとらん。
そこで新法…私事性的画像記録の提供等による被害の防止に関する法律、いわゆるリベンジポルノ法が制定されたわけね。
データ自体の「電磁的記録」とデータが記録された媒体である「電磁的記録物」を条項で分けて、公然陳列罪は後者になっとる。
別にこの法律に限ったことやないが、公然陳列罪はサーバーにデータをアップロードする行為なんや。
ツイート行為、つまりツイッター社のサーバーに画像データをアップロードする行為は、「画像記録」の「提供」ではなく「画像記録物」の「公然陳列」である…
普通の感覚からは奇妙な解釈かも。
ところで、私事性的画像記録の定義は、児童ポルノ法と同じね。特にその第3号の「衣服の全部又は一部を着けない」の要件について、水着の場合、下着のみの場合、スカートをめくっている場合、スカートの下から写している場合、等々、それぞれ要件を満たすのか、解釈が悩ましいわね。
水着が「衣服の一部を着けない」と言えるか、日本語的に微妙やが、この要件は満たすとして、他の要件で分けるほかないやろな。
下着のみなら「一部を着けない」は問題ないやろうが、スカートをめくっている状況が「一部を着けない」と言えるか悩ましい。ましてや、めくってすらいなくて下から写している場合、果たして「一部を着けない」と言えるかどうか…客観的には「着けていない」ような状況は全くないわけやからな。
刑事法は、罪刑法定主義の観点から文言を離れた類推解釈は出来ないわ。拡張解釈にも限度がある。処罰すべきものが処罰できないなら、法律を改正すべきなのよ。
それか、新法制定。リベンジポルノ法を制定したようにね。
まあ、もともと非実在青少年の絵は対象外やけどな。
それは当然だけど、重要なことねw

真ん中

国選刑事弁護(控訴審)、法廷で着席して裁判官の出廷を待つ。そして裁判官が3人入ってきた…あれ真ん中の人は…T教官じゃん!

いやはや、T教官は研修所の前期修習の刑裁教官で、管理人は前期(の終わりに)たっぷり絞られて…まあ理由はお察しですが…でももう二度と会うことないし、と安心して地方修習と後期修習を終え、二回試験の筆記も終え、あとは口述試験だけ、となって管理人の番になって面接部屋の戸を開けたら、3人の試験官の真ん中がT教官だったという…

まあ、毎年秋の法曹囲碁大会で会っているんですけどね(^^;

-----

自動車事故

自動車の運転により人を死傷させる行為等の処罰に関する法律、略称「自動車運転処罰法」…いやその略称だと自動車運転そのものを処罰するみたいじゃん…かといって他に適当な略称も思い当たらず。

自動車事故については、長らく業務上過失致死罪で対応する期間が続いた後、平成13年に危険運転致死傷罪が新設され、平成19年に自動車運転過失致死傷罪が新設され、平成25年に自動車運転処罰法として独立の法律となりました。法律は改正されます。主権者の意思の表れですから。どんな法律でも…。減ったとはいえ、国内の自動車事故による死者は「年間」4,000人以上。これは原発事故より少ないでしょうか?自家用車(を禁止しないこと)を「あなたは」正当化するのか?これは現代社会で最も本質的な「公案」です。

-----

今日の雑感

一般予防と特別予防を混同する議論に意味は無いですねえ…

-----

今日の憤懣

検察官が裁判所に通知する被告人連絡先電話番号が間違っていた件。許さん。おかげで管理人や裁判所が無関係の人に電話してしまったではないか(電話に出ず)。弁護活動にも支障が生じる。許さんぞ検察官!

-----

バットワン

無期懲役刑が確定していた人物に対する再審決定のニュース。刑事裁判においては、被告人を無罪・無実と考える「ラストパーソン」が検察官であり、「ラストパーソン・バットワン」が裁判官です。その裁判官の判断は重いですよ。

アーサー・C・クラークの有名な法則に「高名だが年配の科学者が可能であると言った場合、その主張はほぼ間違いない。また不可能であると言った場合には、その主張はまず間違っている。」というものがあります。

-----

カメラ

防犯カメラが撮影した写真が証拠になることは非常に多い。最終的に裁判で証拠として出てこなくても、捜査段階で犯人の特定に決定的な役割を果たすことも多いでしょう。防犯カメラは監視カメラである、というのはある意味真実です。何事も相対的なのであり、メリットとデメリットを勘案して採否を決めるのも当然です。防犯カメラに犯罪抑止効果が「全く無い」と考える人がどれほどいるでしょうか?「起きていない犯罪」は意識に上りません。犯罪は「そもそも起きない」のが最上なのです。

-----

証拠に基づかない裁判

管理人が司法修習生の時、刑事裁判の模擬裁判を修習生だけで(裁判官役、検察官役、弁護人役、被告人役、証人役、全てを司法修習生が)やりました。もちろん研修の一環で、資料は全て用意された物です。管理人は裁判官役(の一人)でした。模擬裁判は裁判官らが傍聴し、終わった後に講評があります。そこで「証拠に基づかない裁判で…」と辛口批評されました。もちろん裁判では証拠に基づいて事実認定しなければなりません。証拠とは、物証と人証です。特に刑事裁判は、人を━━あなたを━━犯罪者と「決めつけて」刑罰を科すのですから、一つ一つの事実認定がそれぞれ証拠に基づかなければならない要請は強いものです。講評は、管理人ら裁判官役が言い渡した判決における事実認定がしっかり証拠に基づいているとはいえない内容である、ということです。

さて裁判員裁判において、殺人事件の遺体写真がグロいので絵(イラスト)で判断してもらうという話。とんでもないことですよこれは。イラストは「主張」であって「証拠」ではありません。傷口の状況など、殺意の認定や量刑判断において非常に重要です。包丁を刺しただけでなくグリグリ捻っていれば明確な殺意が伺えるとか。仮にイラストで判断するとなれば、検察側のみならず弁護側も出す、ということなのでしょうか?同じ傷について、検察側絵師(イラストレーター)が描いた絵と弁護側絵師(イラストレーター)が描いた絵とが証拠提出される。それが「不同意」にされて、写真のとおりの内容であることにつき絵師(イラストレーター)が証人尋問される?遺体の「目撃証人」として??…遺体写真が存在するのに、ナンセンスです。

写真は、機械が、まさに「機械的」に画像化するものであり、撮影者の主観や意図は入りません。しかし、イラストは違いますよ。イラストで事実認定するとか、まさに「証拠に基づかない裁判」「証拠に基づかない判決」であり、到底、文明国の刑事裁判ではありません。被告人が争わない事案ではよい、という考え方は危険ですが、少なくとも被告人が争う事案(殺意や量刑事情について)では、イラストで事実認定するのは擁護不可能でしょう。

-----

裁判員制度

裁判員制度がなぜ導入されたのか。広く国民がそれを求めたといった「下からの盛り上がり」ではないことは、皆さんもご存知のとおりです。管理人はこの点を色々な人(法曹関係者)に尋ねてきました。現時点での管理人の結論は、「巨額の予算が付くから」です。
個々の裁判官が裁判員制度を求めたということはありません。最高裁が進めたのです。ではなぜ最高裁はこんな制度を進めたのか。それは、巨額の予算が付くから。それまで、司法、特に刑事裁判に大きな予算が付いたことはない。裁判員制度では各地の裁判所の法廷の改修工事をはじめ、非常に多くのことをしなければなりません。そのために巨額の予算が付く。最高裁が求めたのはそれであり、裁判員制度による「より良い裁判」などではありません。それまでの裁判を自己否定するわけがありませんからね。もちろん、国民の刑事司法への参加などという「ありがたい」お考えを最高裁が有していたなど、本気で信じる人はいないでしょう。

それなら意義は…

裁判員裁判の死刑判決(一審)を裁判官だけの高裁が破棄して無期懲役(二審)にした事件につき、最高裁が上告棄却で二審の判決が確定したというニュース。
裁判員制度の構想時から言われていたことなんですよね。裁判員の判断を裁判官が覆すなら、裁判員裁判の意義は何なの、というところ。最高裁なので事実認定の問題ではなく法的評価すなわち量刑判断の問題なのでしょう。そこに市民感覚を導入することが裁判員制度の趣旨のはず。やれやれです。
追記:どうやら公判前整理手続における公判審理範囲の指定に問題があったようですね。つまり裁判員の量刑(市民感覚云々)の問題ではなく、その前提である量刑の対象設定の問題。一方的に裁判官が悪い。これで裁判員裁判のやり直しとか、より問題が大きいじゃん… -----

裁判員制度 その5

さて件の最高裁判決文を読んでみましたが、感想は変わりません。ていうか、求刑は検察官の意見に過ぎません。求刑に拘束力はないのに、あたかも拘束力があるかのように繰り返し求刑に言及するのは何なのか。過去の裁判例(量刑相場)に言及するだけで、求刑言及部分を削っても内容は変わらないはずなのに。わざわざ下線部(強調部)で「公益の代表者である検察官の懲役10年という求刑を大幅に超える」と書いていますが、検察官が公益の代表者であるというのは検察官を律するものであっても裁判官を律するものではないでしょう。裁判官をも律するなら、公益の代表者である検察官「様」の「御」意見(有罪)に逆らう判決(無罪)を書くべきではないということになってしまいます。方や、弁護人弁護士の意見はどうなんですか。弁護士も弁護士法第1条で「社会正義を実現することを使命とする」とあるんですが。公益の代表者である検察官の求刑に対してここまで配慮するなら、社会正義の実現者である弁護人弁護士の意見には配慮しないんですかね。それに対し、過去の裁判例(量刑相場)はまさに裁判官(裁判所)の判断なので、これに配慮するのは裁判所として何らおかしくない。とにかく、「検察官の求刑を大幅に超過し」ということを非難の理由にするのはおかしい。「過去の量刑相場を大幅に超過し」ならおかしくないが。

白木裁判官の補足意見で「裁判員裁判の健全な運用」とありますが、健全な運用とは何か。どうやら過去の量刑傾向について裁判官が裁判員にちゃんと教えていたか、ということ等のようですが、第一審ではそれをしていなかった(裁判員が過去の量刑傾向を教えられなかったから重い量刑になったのだ)という認定ではないのですが。「適切な評議」とは何か。裁判官が裁判員に単に事実を「教える」にとどまらず、裁判員を裁判官が妥当と考える結論に「導く」、すなわち裁判官が裁判員を「教導」するなら、そこに裁判員が存在する意味はありません。いったい、裁判員制度にどれだけの国費とどれだけの国民の労力が費やされているのか。今回の最高裁判決は、最高裁が裁判員制度自体を「否(不要)」とするものと評価すべきでしょう。「適切な評議」が行われなかったというのは、どう考えても、演繹的に出た結論ではありません。「過重(裁判官から見て)な量刑となったということは、適切な評議が行われなかったということだ」という帰納的に出された結論でしょう。

まあ、考えてもみてくださいよ。これまでに出た数多くの裁判員裁判による判決。この中に一つでも、「これは裁判員裁判だから出た、裁判官のみでは出なかった、良い判決だ」と、最高裁が評価する判決があるでしょうか。あり得るでしょうか。無いし、あり得ません。裁判官としての自己否定ですからね。そうすると、最高裁は裁判員制度を評価できる立場なのか、というところに行き着くわけですよ…まあ、裁判員制度の導入時、裁判員制度に賛成の裁判官などいない(ただし政治的主張なので態度には表さない)ということだったようですがね…



calendar

S M T W T F S
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  
<< August 2017 >>

profile

links

categories

recent comment

archives

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM