雑感

日本は言論の自由、特に重要な政治的言論の自由が高度に保障されている素晴らしい国です。今回の改元についても賛否両論あるようですが、それを自由に論じられるのがいい。国家が決めたことを顔と名前を出して批判しても何の不安もないことが、水と安全のように(?)所与のものと思ったら大間違いです。それが無い国もあるんですよ、いっぱい。すぐ近くにも…。ところで今回の件も他の件と同様、意図的な混同が伺えます。他の件で最も有名なのが管理人が以前書いた、憲法解釈変更による自衛隊の活動範囲の拡大です。どういう主張や見解を持つのも自由ですし、それを表明するのも自由。ただ、自衛隊は合憲だがこれこれの活動は違憲(違法)という立場と、そもそも自衛隊は違憲という立場は、全く異なります。それを意図的に混同するのが恣意的扇動的言論の場です。今回の改元も、元号は良いが令和は気に入らないという立場と、そもそも元号を否定する立場では、全く異なります。後者であればどういう漢字を使おうと必ず反対であり、漢字について論じること自体に意味が無いわけです。それをさも意味があるかのように「言論の場」を設定するのは、誤導でありプロパガンダであるのです。なお前者も「この元号なら支持する」ということを表明するのが責任ある議論であり、それをしないならやはり聞く意味のない議論です。


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コメント
この度の改元に伴って、令和の善し悪し含めて、元号の是非が巷間賑わし、論じられているのは、時代の流れ以上に、天皇がお元気なまま、生前退位することが大きく影響を与え要因となっていると思います。歴史上は兎も角、国民は、天皇が亡くなったら新しい元号になるというものだと思って生きてきたのです。これまでは、崩御とほぼ同時に新しい元号に変わってきたわけで、日本国中が深い悲しみに包まれての発表だったと思います。悲しんでなくても、おもて向きはそう繕っていたのではないかと思います。そのような重苦しさのなかで、元号が必要が否か、この元号が好きか嫌いかなんて論じる余地はなかったでしょう。平成に変わった時に、私は、なんか間の抜けた響きだなあと思った記憶があります。しかし、誰にも口にしたことはありませんでした。元号がないのは考えられず、発表されたものを、そうですか、わかりましたと受け入れるのが元号の特質だと思っていたからです。私個人としては、昭和の出来事は、昭和何年で示されても西暦でもすぐにわかります。しかし、平成何年と言われても、わからないものが多いというか殆どです。それは、平成になってしばらくしてから、西暦で記録、記憶するようになったからです。令和は、良い元号だと思いますが、これからも私は令和何年で出来事の記録を記憶に残していくことはないと思います。いつ、なにが、の記憶の連続性が最早平成の元号においてないのですから、令和に続けることは不可能だからです。官庁の文書は、頭に元号の最初の漢字が入り、中に番号が入ります。印判もそうですよね。頭の中で、昭和。平成。令和。と西暦を使い分けながら暮らしていくつもりです。
  • N.Yamamoto
  • 2019/04/04 9:34 PM
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