ノートルダムと寄付金

ノートルダム大聖堂の大火災、まことに痛ましいことですが、再建のための寄付金が世界中から数日で1000億?円も集まった(集まる)とのこと。それに対し、マクロン政権に抗議するデモをしている人たちから、貧しい人を救うのにも使うべきだとの声が出ていると。これが人間社会の本質。貧乏な人間を救うためには金が集まらず、クジラとかイルカとか文化財とか、とにかく、貧乏な人間「以外」を救うためには金が集まるのです。ノートルダム大聖堂はもちろん宗教的な建築物であり、その宗教は貧しい人を救うことを教義の本質にしているの「かも」しれませんが…


関連する記事
コメント
大変な文化的損失の被害となってしまいましたね。ノートルダム大聖堂の再建のためにと集まった寄付金を、貧しい人のためにも使うべきというのは、筋が違うのではないかと思います。寄付をした人たちの思い、趣旨からはずれてしまうからです。たとえば、日本では、大きな自然災害の被災者のために寄付をしても、どこにどう振り分けるかに時間がかかったり、その他の理由で、結局困っている人のところに届きません。人材的支援に変える人もいるほどです。けれども、貧しい国の奨学金のための寄付を募り、たとえその規模は小さくても、寄付した(僅かな)お金が本当にきちんと奨学金として他国の若い人に与えられ、学生生活を送ることが出来ているという報告が来たりします。ノートルダム大聖堂に寄付した人たちはそんな報告を求めてはいないでしょうけれど。
先日、上野千鶴子東大名誉教授の祝辞が話題になりました。私は、お若い頃のこの社会学者を好きではありませんでしたが、今回の祝辞には賛意を覚えました。本人が努力出来る環境への認識と謝意を促し、その得られた能力を弱者のために使ってほしい、弱いものは弱いものとしてそのまま受容すること、と言った下りは、「自己実現」を追い求め「自己責任」として一蹴してきた日本の一時代の風潮を考え直し、今の社会の目標と課題でもある、『共生』を意味しているように思いました。また、努力したくても出来ない人、努力する気持ちも持てない人=社会的弱者への、noblesse
oblige を日本人も持つべきということを示していることは自明のように思いました。日本の人口ピラミッドが、「ピラミッドの形」でなくなっている現実への施策も、優れた叡智を持った人たちが議論を重ねていっていただきたい喫緊の問題ですね。
  • N.Yamamoto
  • 2019/04/20 11:42 PM
コメントする








   
この記事のトラックバックURL
トラックバック

calendar

S M T W T F S
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031 
<< May 2019 >>

profile

links

categories

recent comment

archives

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM