文化大革命

wikipediaは誰でも書き換えらえるので記述の信憑性に注意が必要ですが、なんといっても圧倒的に便利です。注意深く使うのがインターネットリテラシーでしょう。文化大革命について見てみると、1966年〜1977年のことですね。管理人が生まれる前後のことであり、もちろん実感はありません。当時はマスコミに称賛されたと聞きますが、実際はどうだったのでしょうか。荒れ狂う暴力と破壊により「40万人から1000万人以上が死亡」して「1億人近くが何らかの損害を被った」というのですから、人類史上有数の悲劇なのは間違いありません。「人民を毒する旧思想・旧文化・旧風俗・旧習慣を徹底的に除かねばならない」として各地に私刑施設が作られたとか。(あの有名な)紅衛兵が結成され、毛沢東思想を狂信的に掲げて暴走したと。恐ろしいことです。紅衛兵は人民解放軍に制圧されたんですね。内戦状態になっています。批林批孔運動により歴史上の人物を善人と悪人に分けて悪人を徹底的に罵倒しました。現地で子供に孔子の人形を鉄砲で撃たせていたのを見た司馬遼太郎が衝撃を受けたことはエッセイで読みました。

文革ではプロパガンダとして『紅衛兵は、街路や病院などの名前を、勝手に「革命的」なものに変更して回った。例えば、ソ連大使館があった揚威路は「反修(反修正主義)路」、アメリカの資金で建設された協和医院(中国語版)は「反帝(反帝国主義)医院」など。』とのこと。これを滑稽と感じるかどうか、人によるのではないでしょうか。ただ、当時これを批判するのは命を懸けることだったでしょう。それが革命の狂気というものです。『音楽などの芸術も迫害の対象となった。中国各地の芸術学校の教員はつるし上げの対象となり、研究も完全にストップした。国内では党のプロパガンダに沿った作品しか演奏・上映できず、迫害の対象となったモダニズムなどの数多くの作品が破壊された。外国の作品も取り上げることはできなかった。』というのも実に象徴的です。芸術が思想への恭順を強要され、恭順しないものは否定され破壊されるのです。芸術家の方々はそれでよかったのでしょうか。個人崇拝として『紅衛兵は、毛沢東が学校の休校を命じると、自らの学校を破壊し教師たちに暴行を加えたり教科書を焼き捨てた。その後学校が再開されると、教える人や教材もない有様で、中華人民共和国の発展に大きな障害となった。』というのも重要です。単に評価として否定するのではなく、必ず暴力と破壊が伴うのです。それが革命の本質であり、恐ろしさでもあります。そして最も恐ろしい吊るし上げ。『「批判闘争大会」と呼ばれる吊し上げは、町の広場やスタジアムで大勢の群衆を集めて行われた。批判される者に対して「反革命分子」のプラカードと三角帽をつけさせ、「ジェット式」という椅子に立たせて上半身を折り曲げる姿勢を数時間とらせた。その間に罵詈雑言を浴びせたり、墨を頭からかけたり、頭髪を半分剃りあげるなど肉体的精神的に痛めつけた。中には長時間の暴行に及ぶこともあった。』という行為が文明的でしょうか?『当時の中華人民共和国の新聞は、毛沢東語録の引用や毛沢東の写真に占領され、その新聞を焚き点けに使ったり尻に敷いたことで吊るし上げられた者が多数いた。』というのです。誰も止められない、それが革命の恐ろしさです。誰が暴力を止められるでしょうか。止めようとしたら命も名誉も失うのです。旧文化の破壊も行われました。『紅衛兵らは旧思想・旧文化の破棄をスローガンとした。そのため、中国最古の仏教寺院である洛陽郊外の白馬寺の一部が破壊されたり、明王朝皇帝の万暦帝の墳墓(定陵、1956年〜1957年発掘)で批判会が開かれ保存されていた万暦帝とその皇后・皇妃の亡骸がガソリンをかけられ焼却されたりした。』とのこと。過去の事物を評価として否定するのは大いに結構、しかし破壊するのは次の世代への責任を果たしていると言えるでしょうか。今作っている物も将来破壊し尽くされることを容認するのでしょうか。少数民族地域の文革では虐殺が横行したとのこと。そこには革命の「本質しかない」と言えるでしょう。


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