新倫理

怪我や病気にかからない人はいても、死なない人は一人もいません。人は誰しもいつか必ず死ななければなりません。死ぬ時まわりの人に、「まだ早いよ」と思われるか、「やっと死んでくれた」と思われるか…

「老衰により自分の尻を自分で拭けなくなったら、それは天寿が尽きたということであるから、速やかに人生を終えるべき」という倫理が──いくら心情的に受け入れ難くても、いくら正しいイデオロギーに反しても──「必要は発明の母」の法則により誕生するでしょう。この倫理からは、例えば、そのように天寿が尽きた人への医療行為は一切保険適用外となります。


関連する記事
コメント
小早川先生は、法律家として、論点を非常に鋭いひとつの点になさるのに長けていらっしゃいます。一般人の私が先生のお書きになったものを拝読致しますと、その話題に関係する事柄があれこれと思い起こされてしまうため、先生は、ご自分のおっしゃっていることから土台からして外れているとお思いになられるのだと感じております。まあ、私やその回りの知人、友人は、会話でもメールでも、そこまで厳密に突き詰めてやり取りすることはないので、そこは、法律家とただの人との差異だと思って頂ければ幸いに存じます。
  • N.Yamamoto
  • 2019/04/25 11:05 PM
第1に、ここは「老衰により」の話なので若者は関係ありません。第2に、保険は保険料を支払うから適用されるのであり、国や社会に尽くしたからではありません。第3に、どの世代にも悪人はいるのであり、国や社会に尽くさなかった悪人高齢者は社会福祉から切り捨てるべきでしょうか。第4に、ここにいう新倫理は国民皆保険の維持そのものに関わる話であり、国民皆保険の是非とは次元が異なります。
  • 管理人
  • 2019/04/16 3:10 PM
人間の自然死は、餓死といわれています。人間は、高齢になり、食べ物を自分で(神経の難病によるものではなく)嚥下出来なくなったらそう日にちが経たず、程なくして、亡くなります。小早川先生の例えでは、自分で排泄後の始末が出来なくなったら、といった内容ですが、排泄後の始末が自分でできなくなるケースは、高校生が腰椎ヘルニアになっても起きます。オペ後は自分でお箸もスプーンも持てませんから、食べさせてもらい、排泄の始末も自分では出来ません。おっしゃりたい意味は良くわかっておりますが、こうしたことは高齢者に限ったことではないのですよね。高齢者に手厚い医療を施すかどうか、ごく一部のセレブはお金を出せば当たり前のようにしてもらえるでしょうが、一般の高齢者は、まず病態によって、『高度で手厚い医療』を施せる病院に入れてもらえないのが現実です。治療する病気があれば別ですが、医師も大して診察する必要もない、看護師も先端の知識を持っている必要もない、一般の高齢患者は、療養型病院へ転院させられます。政治家の親は、都心の先端医療の病院に何年も入院し続けて亡くなったりしてますが。一、二世代前の特に地方の高齢者は自宅で看取られ畳の上で亡くなっていましたが、子供が多くても、面倒を見ていたのは同居している跡継ぎの長男夫婦、主に嫁です。後の子供たちは嫁いで嫁ぎ先の義理の親の面倒を見ていたり、都会に出て家庭を持っていたりで金銭を送ったりはできても、親の介護という事実行為は不可能でした。訪問診療、訪問看護もありませんでしたから、ただ、寝かされていた高齢者も多かったと聞きます。人口の20%が70歳以上になり、団塊の世代が後期高齢者になっていく、これは個人の責任ではありません。人間は一人一人かけがえのない存在であり、なおかつ、国のために耐えて尽くしてきた高齢者を生産性、生産力がなくなったからといって、社会の福祉から切り捨てるようなことは、あってはならないと考えます。私は個人的には日本の国民皆保険制度は世界に誇れるものだと思っています。
  • N.Yamamoto
  • 2019/04/15 5:02 PM
経済規模との関係はよくわかりません。ただ、昔の...
経済規模との関係はよくわかりません。ただ、昔の家庭での「医療の代替」の負担が実際問題として平均的にどの程度だったのか…なにしろ昔は、(定年が55歳とか)今からすれば信じられないくらい若くして「社会を引退」して、60歳を超えたらそろそろ「人生を引退」していましたからね。期間の長短とともに内容の軽重も、俗に言う「ピンピンコロリ」に近ければ近いほど負担は軽くなるわけですし。親に対する子供の数が多ければ一人当たりの負担はさらに軽くなります。ただ、保険適用云々は、社会全体として良い結果を招くのか悪い結果を招くのか…何事もやってみなければわからないですからね。この点は11/28の記事にも少し書きましたが。 -----
  • 管理人
  • 2009/12/10 10:03 AM
なるほど納得できました。
なるほど納得できました。
丁重なご回答をいただき、ありがとうございます。
特に「一人っ子政策」の例は、理解の助けになりました。

お礼というには素人意見すぎますが、
私の個人的な感想を記させていただきます。

「老衰により自分の尻を自分で拭けなくなったら、それは天寿が尽きたということであるから、速やかに人生を終えるべき」
この新論理の誕生は納得が容易ですが、
例としてあげられている「医療行為は一切保険適用外」は、難しいなと感じます。

医療を国家が保証しているのは、疾病者を抱える家庭の労働力を落とさないためという側面があるのでは?という感じです。
1世代か2世代以前の高齢者の多くは特に高度で手厚い医療を確かに受けていなかったですが、高度で手厚い医療の代替を家庭が担われていた事が、経済規模が小さかった事の要因の一つという見方はどうでしょう?

乱文ですみません。
  • 弾正
  • 2009/12/10 5:32 AM
コメントありがとうございます。
コメントありがとうございます。
ところで、新倫理のもとでも、別に、自害とか自然死を待つとかいう必然性は生じないと思います。
そもそも、高齢者の多くが高度で手厚い医療を受けられるようになったのはせいぜいここ1世代か2世代のことで、それ以前は、高齢者の多くは特に高度で手厚い医療を受けることもなくお亡くなりになっていたわけで、その時代の高齢者が自害したり自然死を待ったりしていたのではないでしょう。
従って、新倫理のもとでの「天寿が尽きた」高齢者は、以前のように、高度で手厚い医療を受けることなくお亡くなりになる(高度でなく手厚くもない程度の医療なら自己負担でも受けられるでしょう)というだけのことで、別に、日常生活(や生存自体)が否定されるわけではありません。つまり、特に新たな「実践」行為はありません。まあ、「自然死」という言葉の指す具体的内容にもよるのでしょうが…
現在は、お金(社会的コスト)さえかければ誰でも高度で手厚い医療を受けることが可能な状況にありますが、その社会的コストは無尽蔵にかけられるわけではないため、そういう社会的共通対応が必要となったら──いくら不愉快でもいつかは必要とならざるを得ないと思いますが…余談ですが、管理人が子供の頃に社会の教科書(?)で「数十年前(?)は20人の若者が1人のお年寄りを支えていました。今は5人の若者が1人のお年寄りを支えています。数十年後(?)は2人の若者が1人のお年寄りを支えることになるでしょう」というような、絵付きの記載を見た記憶があります。さらに余談ですが、中国の「一人っ子政策」はとんでもない人権侵害(に直結する政策)ですが、人口爆発を抑えるために必要だから実施されているわけで、それが社会主義国の凄さであり恐ろしさでもあるのですが、これが実施されているから世界の人口爆発が抑制され、直接的には日本への大量難民が発生するのを防いでいると思うのです──それを正当化するための新たな倫理が誕生せざるを得ない(以前はそもそも不可能だったから倫理など関係なかった)ということです。
なお念のため付記しますが、管理人がこの新倫理を支持しているというわけではありませんので…
  • 管理人
  • 2009/12/09 11:52 AM
尻を拭けない状態に至ったら自害は困難を極めると...
尻を拭けない状態に至ったら自害は困難を極めると思いますが、
その新倫理をどう実践するのですか?

「医療行為は一切保険適用外」、これで自然死を待つのでしょうか?


興味深い記事だったので、軽い気持ちで質問させていただきました。
ご迷惑だったらスルーしてください。
  • 弾正
  • 2009/12/09 3:26 AM
コメントする








   

calendar

S M T W T F S
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031 
<< May 2019 >>

profile

links

categories

recent comment

archives

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM