DQ10

先日、DQ10でver.5からスキルシステムを根本的に変更することが発表されました。7年間も慣れ親しんでそれを前提に組んでいる者からすれば迷惑なことです。しかし、多くの職(現在18職でver.5でも追加あり)の間で複雑にスキルポイントを融通しあうのは今から始める人には非常に分かりにくいのもまた事実。法律でも、かつての刑法の贓物牙保とか民法の滌除とか、慣れ親しんでいる者には良いですが一般人には何のことやらわかりません。ゲームが新規に向けて改修されるのも、法律が一般人に向けて改正されるのも、前向きに捉えられなくなったら老害に足を踏み入れているということでしょう。


言うは易く行うは難し

 

今回の佐賀県豪雨にも、あの尾畠氏がボランティアとして駆けつけているとのこと。自動車に6日分の水と食料を積んでというらしい。まさに「言うは易く行うは難し」で、若くても難しいのに尾畠氏は79歳という。どこまで凄いのか…聖人か。尾畠氏は例の幼児救出で有名になったが、それまでは無名だった。同じように無名で尊い行為をしている人が他にもいるのだろう。こういう人を、暖衣飽食カウチポテトしながら匿名で批判する精神は醜い。


今日の雑感

民事訴訟における裁判官の考えは要件事実に基づきます。要件事実とは、例えば金銭消費貸借契約に基づく貸金返還請求であれば、金銭授受と返還約束です。それぞれ原告が主張立証します。これに対する被告の反論には、否認と抗弁があります。否認とは要件事実を否定することで、例えば金銭授受が無い、ということです。抗弁とは要件事実は認めるがそれ以外の事実により結論を否定することで、例えば既に返還(弁済)した、ということです。各要件事実につき、認否反論をしないなら認めたことになります。要件事実と無関係なことを言っても、それは認否反論にはなりません。例えば原告は悪人であるとか、そういった人格攻撃を始めても裁判官は呆れるだけです。議論が噛み合っていない、ということです。そういう噛み合わない議論を吹っ掛けるのは、相手方のもともとの主張には反論できないということに他なりません。法治国家内においては淡々と処理される(請求認容判決及びそれに基づく執行として)のみです。


第1局

いよいよ昨日から始まった満天下大注目の名人戦、張栩名人39歳に挑戦するのは芝野虎丸19歳。握って、黒番張・白番芝野。

この碁はねえ…芝野がねえ…二日目の午前頃までは完璧な打ち回しで「こりゃ4-0奪取間違いなし」と思わせた。芝野はAIを研究しないと言うが碁の内容はAI的で、淡々と打ってさらさらと大模様で優勢になる。それがねえ…芝野勝勢つまり張敗勢から張の勝負手にまんまと引っ掛かって、アレヨアレヨと言う間に劣勢そして敗勢に。黒6目半勝ち。

芝野…これは井山も通った道なんだよ。敗勢から無理矢理逆転するという、勝負師張の真骨頂。井山はこれを吸収した。芝野は「普通の碁」しか打ってきていない。普通に打って普通に勝ってきただけ。二日制の碁で命懸けの「泥を啜っても、石に噛り付いても、何が何でも勝つ!」という執念による勝負手、これは張的であり井山的であるが、芝野的ではない。芝野はAIを見ず、相手を見ず、ただ碁の真理のみを見る。呉清源や小林光一の系譜だ。しかしそれで勝つには不動心が必要である。勝負手に動揺しない精神力が。「異常な碁」への対応力が。それがまだまだ。強ければ優勢までは持って行ける。しかし強いだけでは勝ちまでは行けないのだ。勝負手を真正面から受け止めたりせず(これを受け止めるのが井山なのだが)、ヒラリと躱して淡々と勝つ。そこまでの域に達していない。それが出来るようになった時、芝野は世界最強だろう。


近時の雑感

「モラハラ夫の自己紹介」という話があります。モラハラ夫(妻でも該当者はいるでしょうが)は自分のモラハラ行為(等の悪いこと)を「妻が自分にやった」と主張します。その構造は、〆覆自分に悪いことをして自分は被害を受けていると主張したい→悪いこととして思い浮かぶことを(妻が自分にやっていると)言ったら、それは自分が妻にやっていることだった、というものです。相手が特に悪いことをしていないため、悪いことを「創作する」必要がありますが、人間、全く経験のない悪事は創作できないものです。そんな苦労(?)をしなくても、自分がやっていることで「これはマズいな…」というものがあるわけです。それで、必然的にそれを相手がやっているとして相手を責めることになるのです。まったくもって愚劣で滑稽なことで、当人以外から見たら「いやそれお前がやってることだろ」となります。即ち自己紹介なわけです。


今日の一言

電子書籍元年と言われてはや何年。毎年が電子書籍元年。日経新聞と週刊少年ジャンプが電子書籍「のみ」になった時が、真の電子書籍元年である。


近時の雑感

「はだしのゲン」は管理人の小学生時代に小学校の図書室にありました。当時は7巻までしかありませんでしたが。この漫画の物語は原爆投下前から始まっています。その中の描写として、道路にルーズベルトやチャーチルの顔が描かれていて、それを踏ませるというものがあります。まったくもって愚劣な行為ですが、これが社会全体として行われていたのです。主人公の父親は戦争に反対で、朝鮮人をバカにするなと言って社会から迫害を受けていました。

つまり、社会全体が、「敵国」の指導者を侮蔑するよう国民に強要し、「敵国」と仲良くしたり「敵国民」を肯定的に評価したりすることを禁止し、それらに違反したら「非国民」として社会的制裁を加えていたのです。もちろん政治的言論の自由など全くありません。政権とマスコミが一体となって「戦意高揚」します。そういう国がどうなるか、日本人はよく知っています。行き着くところまで行くのです。


昨夜の雑感

提灯R010823

昨夜は納涼大会。今年はここ数日の雨で暑さもほどほどでした。先日も書きましたように、人間、「今」の状況を前提に考えがちです。「今」なら来年の五輪の心配もほどほどでしょう。


羽根直樹が碁聖を奪取

許投了ーーー羽根が碁聖に!

いやこれ一旦井山より歳下に行ったタイトルが井山より歳上に戻るのは時計の針を戻すこと、許の責任は大きいで。羽根はほんと何年振りだよというくらい久しぶりに(7年前に山下名人に挑戦した時以来?その直前に碁聖戦で井山にサンタテ奪取されてるが…)出てきて、それで井山からサンタテ奪取した絶好調の許を倒すとは…一旦もう終わりかと思わせてから43歳で若手筆頭からタイトル奪取とか強すぎだろjk…


漢帝国

「漢帝国ーー400年の興亡」(著:渡邉義浩、刊:中央公論社)を読みました。なかなか面白い本です。中国人は自ら(の多数民族)を漢族と呼び、その字を漢字と呼びます。漢王朝こそが中国人の基盤なわけです。夏でも商でも周でもなく。思えば周までは支配領域は現在の中華人民共和国と比べて非常に狭く、中原の一帯のみでした。それが秦で初めて現在の領域に匹敵する範囲で統一され、それが短期間で終わった後に前後400年の長きに亘り統一王朝だったのが漢です。つまり、当時の人々にとって感覚的には統一王朝として最初にして唯一であり、その後の唐とか宋とか元とか明とか清とかを知っている後世の我々が「歴史上幾つもある長期間の統一王朝のうちの一つ」と相対化して見るのとは全く違います。それを克服しようとする曹操の困難性がわかります。すると王莽がどのようにして平和裡に簒奪できたのかも大変興味深いところで、これは管理人は昔から不思議に思っていました。本書でそこはわかりやすく説明されています。なるほど周公に準えてまずは劉嬰を皇太子にしたということか。この時点では即位しても簒奪ではないという理屈。その後に漢は堯で王莽は舜として革命を正当化したと。そのほか、春秋の公羊伝と穀梁伝は「今文」だが左氏伝は「古文」であるとか、史記と漢書で後者は客観的事実より儒教的評価(漢の正当化)を旨としている(管理人の解釈)とか、大変興味深い。「儒教の毒」の淵源でしょう。「こうであるべき」により客観的事実に反することに何の躊躇も無いという…


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