今日の一言

人間に関する最大の真理、それは、「三つ子の魂、百まで」。


棋士序列 その6

名棋士必ずしも名解説者ならず、解説者としての序列や如何。

S:究極の解説者。聞いて至福。あらゆる面で誰よりも優れており、まさに規格外の絶品。

A:優れた解説者。聞いて納得。手の解説が充実、雑談がうまい、発言のテンポが良い、等々。

B:普通の解説者。聞いてフーン。良い所もあれば悪い所もあり、可も無く不可も無し。

C:駄目な解説者。聞いてムカつく。手の解説をしない、雑談が滑る、声が小さい、等々。

管理人の独断と偏見で分類した暫定版は、以下のようになります。

S:二十五世本因坊治勲

A:二十四世本因坊秀芳・結城聡・王メイエン・小林光一…

B:その他大勢

C:林海峰・武宮正樹・山城宏・金スジュン…


とある業界の増員問題

とある年配の医師(医師業は引退されたそうなので正確には「元」医師)の話ですが…

現在、医師の数が足りないとして医師を増やす(大学の医学部の合格者(定員?)を1割とか2割とか増やす)ということになっている。しかし、過去に医師数を増やした時も質が落ちた。そして、医師は、どの診療科でも収入が同じということになっている。そもそも専門医制度を作るというのも反対が強かった。高度な技術を持っていたり日々過酷な医療業務をしたりしている医師と、そうでない医師(例えば、皮膚科などの相対的に楽な診療科や開業医)とで、収入が同じということであれば、医師不足は解消されない(誰もが楽な診療科になったり開業したりしたがるので、過酷な診療科──小児科とか産婦人科とか──の勤務医はいつまでたっても足りない)。また、女医の問題もある。(特に田舎では)医師免許は嫁入り道具のようになってしまっている面があり、女医は結婚したら医療業務をしなくなる。それが30%とか40%とかいる。

…ということだそうです。管理人の聞き違い・記憶違いがあるかもしれませんが、だいたいこのような内容でした。どのような業界にも、その業界の人にとっては常識である事情も、外部の人にはよくわからず、効果的でない施策を続けてしまう、ということはあると思います。なぜそのようなことが起きるのか。それは、どのような施策であれ、何かを変えるというからには得する人と損する人がおり、その業界内の損する人が反対するからです。しかも、そういう人はその業界の主流派であり幹部であり執行部であるのです。逆に言えば、そういう人がそういう立場で業界を牛耳っているから、その業界ではそういう問題がいつまでたっても解消されないのです。

思うに、太平洋戦争末期の日本で、「もう戦争継続しても戦況を好転させる見込みは無く、徒に被害を拡大させるだけだから、できるだけ早期の終戦工作をすべき」と主張しても、「その業界」すなわち大日本帝国陸海軍の幹部にとっては、もしそういう政策転換をしたら自分たちが責任をとらなければならないため、損です。従って、そういう主張は潰されるわけです。

どのような業界もどのような組織も、そんなものでしょう。しかも、現在の日本の業界や組織では、「そういう人たち」はえてして既に地位と財産を築き終わっており、業界や組織がどうなろうと「逃げ切り」なのです。


フェアユース その4

日本新聞業界や日本雑誌協会など6団体が、日本版フェアユース導入に反対する意見書を文化庁の審議会の委員宛に提出したとのこと。

フェアユースへの賛否は人それぞれでしょうが、上記団体は、質の高いコンテンツを作るためにはコストがかかる(のにそれを勝手に──タダで──使われるのでは誰も作らなくなる)という理由でフェアユースに反対するわけです。それに対し、フェアユース賛成派は、「新聞や雑誌のコンテンツは質が低いのでフェアユースしない」とは言っていない(と管理人は理解しています)。

つまり、要するに「おまえらは作る人、おれらは使う人」「おまえらのコンテンツは価値がある──それは質が高いということでしょう──から、おれらに使わせろ」というわけです。そう考えれば、なんともいやしい話です。


ていうか

そもそも、経済界に「自民党の支持者」なるものが存在していたのですかねぇ。存在していたのは「与党の支持者」じゃ…


今日の一言

面白い本というのは困ったもので、読み終わるまでは眠れず、徹夜してしまうことになるので、社会人は面白い本は読まないように心がける必要があります。


消費者問題 その2

今の消費者被害で大きいのが未公開株販売商法ですが、海外商品先物取引・海外商品先物オプション取引・CFD取引等もまだまだ多いとのこと。また、「まともな」銀行や証券会社が販売するからといって適法とは限らないのが恐ろしいところです。

被害者は圧倒的に高齢者が多い。当然でしょう。若者はそもそも金をあまり持っていませんから、この種の悪徳商法では狙われません。それに対し、高齢者は人生経験に富んでいるはずですが、コロッと騙されます。そもそも、「自分が何の努力もせず自分が金融の知識や技量を持たず自分が分析も判断もせず、ただ他人に任せるだけ」で、銀行金利より高い利回りを得られる、と考えること自体がおかしいでしょう。

ここでふと、昔読んだアイザック・アシモフのエッセイの一節を思い出しました。アシモフは幼い頃、ピラミッドを盗掘する人たちを非常な悪人だと思っていたが、大人になって考えてみると、もし盗掘が為されなければ世界に流通している金の量は大幅に少なかったはずである…

日本の消費者問題の被害者である高齢者とは、戦後働いて金を貯めた人たちです。その人たちが、銀行に金を預けておくだけで、使わない。自分がいつまで生きるかわかりませんからね。今の日本は、栄養状態も医療体制も人類史上最高でしょう。「自分も80歳ぐらいでいい加減死ねるだろう」などという甘ったれた考えは通用しません。「自分は100歳まで生きる羽目になる」と考えたら、いくら預貯金があっても安心できないでしょう。すると、高齢者の金は悪人が騙して市場に供出させない限り銀行で眠ったままになります。まるで、ファラオの金は悪人が盗掘して市場に出さない限りピラミッドで眠ったままであるように…

おっと、悪徳商法の犯人は何ら擁護する余地がありませんからね。当然のことながら全額取り戻して然るべきです。それに、ピラミッドと違って銀行に眠っている金は適切に運用されることが期待できますし。上記の話は、思い出したというだけですよ、あくまで。駒田先生が黒い車の持ち主を思い出したというのと同じくらい関係ない話でした。


振興と神輿

本日、秋葉原電気街振興会の平成22年新年交歓会が開催され、管理人も(振興会の一員として)参加しました。冒頭の振興会会長のご挨拶の中で、メーカーの方々へのお願いの一つとして、今年は自作PCを趣味とする人へDIYのイベントなどを行なって応援して云々といった発言がありました(正確な表現は覚えていませんが…)。うんうん、自作PCって楽しいですよね。

ところで、交歓会の冒頭ではシャープの、掉尾ではパナソニックの、それぞれ代表取締役(というご紹介だったと思いますが…)発言がありましたが、当然のことながら、国の政策(エコポイントとか)と市場の動向と現場感覚に基づいた具体的でよくわかる内容でした。

ところでところで、この国の首相の発言は本当に何も考えていない感じですね。行政のトップなのに(行政の一部である)検察と戦ってとか、法務大臣に指揮権発動させる(法務大臣が従わなければ馘首して自分が法務大臣を兼務して実行できる)ということでしょうか。それを慌てて修正するとか、自分の立場や自分の発言の意味を自分自身が理解していない様子です。きっと、(鳩山以外の日本国民のみならず)鳩山自身も自分が最高権力者だとは思っていないでしょうし、そもそも権力を行使したいとは思っていないでしょうね。何不自由ない生活ですから、権力を行使する動機も無いわけです。麻生もたいがいボンボンでしたが、麻生なりに考えて発言している(その発言内容が適切か、国民のためになるかは別として)様子は伺えました。しかし、鳩山は本当に何も考えていない、かつて言われた「神輿は軽くて馬鹿(パー)がいい」にぴったり当てはまる人物のようです。想像を絶するほどの究極のボンボンですね。もちろん、現場感覚など全くありません。そもそも超大金持ちで家柄も良いという生まれですから、そういう感覚を身に付ける機会は生まれつきあり得ない運命なのでしょう。民主党も多士済々ですから(注:推測)ほかにマトモな人材もいるでしょうに…。そもそも、「友愛」などということを、どうも鳩山は「本気で」「掛け値無しの本心で」言っているのではないでしょうか。考えてもみてください。日本以外のどこの国でもいいですから、その国の最高権力者の地位にある者が、「友愛」とかそれに類する言葉を、シタタカな計算無しの素朴な本心から言う、ということがあり得ると思いますか?


今日の一言

たとえ小さな危険でも、小さな労力で回避できるなら、その小さな労力を怠るのは愚かである。

…という趣旨の言葉を、昔、「宇宙のランデヴー」(ハヤカワ文庫SF)で読んだ気がするんだ。


置碁の白番

囲碁で下手相手に置碁の白番を打つのは、互先や定先とは全く勝手が違います。とにかく序盤は(当然ながら)圧倒的に不利で、どう打てば形勢が良くなるのか見当もつきません。それで(管理人は)適当に、さしたるアテもなくあちこちにパラパラと打ちます(俗に言う「豆撒き」)。

しかし、序盤から中盤に進むにつれ、下手が悪手を連発してくれます。それはもう、上手から見たら「なぜそこに打つのか?理由が見当もつかない」という手です。管理人もプロに指導碁を打ってもらう時はそういう手を打っているわけですが(対局終了後の検討の際に色々と教えてもらえます)。

そして、形勢が急接近し逆転するのが、往々にしてコウです。上手と下手とで、技量に特に顕著な差が出るのがコウの処理です。上手にとって已むを得ざる仕儀にて大きなコウになり(置碁では、コウになるとわかっていても手を入れている余裕が無いのはいつものことです。少なくとも管理人にとっては…)、適切なコウ材が無い。例えば、コウの価値が50目として、釣り合うコウ材が無いので、仕方なく30目の価値しかない手をコウ材として打ちます。その時の内心は、「これでコウを解消されたら投了しよう」というものです。

しかし、上手としてはあくまでも平然とした表情を保ちます。すると、下手はこういうコウ材に受けてくれるのです。そして、そのうちコウを謝ってくれます。そうでない場合は、コウに比べて非常に小さな(前述の例えで言えば20目くらいの)手をコウ材として打ってきます。上手はそれを待っているわけで、やはり平然とした表情でコウを解消します。

置石が多ければ多いほど、上手の着手は(少なくとも管理人が上手の場合は)本当に綱渡りの連続で、上手が勝った一局でも、そのうちに「ここで正着を打たれたら投了していた」という場面が何度も訪れています。しかし、下手は上手に(対局後に)解説してもらわないと、そのことに気付きません。

囲碁に限らず、世の中とはそういうものではないでしょうか。



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