年配の

恒産なければ恒心なし。貧しい人のために無料(格安)で依頼を受ける「年配の」弁護士がいたとしたら──実際いますけど──その弁護士は別のところでベラボウに稼いでいます。しかしメディアでは前半部分しか報じられない。世の中そういうものです。あ、稼ぐのはまことに結構なことですよ、もちろん。


畳の上の水練

どんな職業でも、いきなり仕事をさせるのは無理というもので、まずは「畳の上の水練」をするわけですが、それによって身に付けるのはその職業で仕事をするための必要最低限の技能です。文字どおり水泳なら、どのように手と足を動かしてどのように息継ぎをするか、それをひととおり覚えるまで。これを全く覚えずにいきなり水に入っては溺死の危険が無視できませんが、これを覚えておけばとりあえず溺死はしないでしょう。しかし、本当に泳げるようになるには実際に水の中でもがくしかありません。「畳の上の水練」だけで技能がその職業の中堅どころまでいける、いかせるべきという発想は有り得ませんし、そもそもいけません。仕事の技能というのはOJTすなわち実際の仕事をやって現場で揉まれることによってのみ向上するのです。「畳の上の水練」に膨大な社会的コストをかけるのは社会の損失であり、社会自体が衰退するということです。


ていうか

外国(ていうか米国)弁護士がある国で業務ができるようになる→その国で外国(ていうか米国)の法律事務所の支店ができ、その国の法律事務所も支店になる→外国(ていうか米国)の法律事務所がその国の契約書等を作成するようになる→その国の契約の準拠法と管轄が外国(ていうか米国)になる→その国の司法(の民事部分)が外国(ていうか米国)に支配される→その国が法治国家である限り、その国は外国(ていうか米国)の従属国に成り果てる→その国の偉い弁護士はその状態を賞賛する(なぜなら、その弁護士は外国(ていうか米国)の法律事務所の支店としてのその国の法律事務所で高給を得ているから)

という意見(ただし最後は推測)を聞いた。


記事

某新聞に掲載された若手弁護士の記事について、当該弁護士の意図とズレた内容になっている、ということのようです。そもそもマスコミというのは、ある話題についてある内容で書きたいという「結論」がまずあって、その結論に沿った内容を話してくれそうな人を選んで取材し、取材内容がもともとの狙いから大きく外れてはいないものの少しはズレているそのズレを、「編集」という名の改変をして、それで掲載するようですね。取材した内容そのものは、それこそ「テープ起こし」状態なので、「編集」自体は必然ですが、それがマスコミの意図に沿った改変となるわけです。かといって、民間企業であるマスコミが自ら望まない内容を掲載する必然性はありません。結局、世の中全てがそういうものですから、多様な情報源から情報を得て比較分析検討するほかありません。それは時間と労力がかかって大変面倒ですから、自分がよほど強く関心を抱いている事柄にしかできません。結論として、ある事柄に対する自分の考えも、その元となった情報自体が多かれ少なかれ偏向している以上、信用できないということです。


会長声明

日弁連で会長声明というものを出すことがよくありますが、強制加入団体で会長声明というのもどんなものか。会長個人の見解ということが読む人に理解されているのか…弁護士全員がそれに賛成であるととらえる人が多いのではないか。

特に弁護士というのは独立独歩が本質であり、たとえ一人でも巨大組織と戦うぞという気質なわけです。会長声明を出す際に、全会員に「賛成」「反対」「どちらでもない」で投票させて、投票率と共に掲載すれば良いことです。ただし、完全無記名投票であることが致命的に必要なことであり(と管理人は考える)、それを簡便に実現する方法があるのかどうか…


権力機関

地方公共団体が法的疑問を有している(ので弁護士に相談したい)ということがあるわけです。今の東北とか特に。地方公共団体と言っても、県・市・町・村と、規模や権限は様々。小さくなるほど民間とどれほど違うのか、権力機関という実態がどれほどあるのか、ということになるわけです。しかし、特に地方の弁護士にとっては、権力機関に協力するなどとんでもない、弁護士は権力と戦うのが使命だ、という考え方が主流だったりする(特に年配層は)わけです。


第31回法曹囲碁大会

本日、第31回法曹囲碁大会が、市ヶ谷の日本棋院にて行われ、管理人も出場しました。この大会も、冒頭の挨拶でT裁判官が言っていたように、毎年順調に1歳ずつ出場者の平均年齢が上がっているという…。

さて、管理人の碁のほうは、団体戦で3局打つところ、一昨年と昨年は3勝したのですが、今年はいきなり負けて2勝1敗…優勢の碁を切れ負けの時間に追われて悪手連発して、というあまりにもありきたりで情けない負け方でした。未熟の一言です。


今日の雑感

今日の弁護士会と総務省との地域主権改革と監査制度改革に関する勉強会で、総務省の某氏曰く、欧州の地方議会は土日の夜に開催されると。確かに、そうでなければ専業でしかできませんよねえ。勉強会後の弁護士だけの懇親会で、某弁護士曰く、米国ではLawyerといっても日本の宅建程度の社会的評価で、それに対しJudgeの社会的評価は大違いで非常に高いとのこと。

日本と外国で言葉や概念は一対一に対応するほうが少ないでしょうし、似て非なるものを同列に論じれば結果は的外れとなるでしょう。


こ○と。

近年稀に見る良ENDだった「○ばと。」ですが、最終話は何年後なのでしょう。Fが弁護士事務所に勤めて4年、ということですが…

Fは大学を休学して(?)バイトに励んでいたようですが、大学何年生だったのか。仮に大学2年生以下だったとすると、雑誌連載が2005年からということで最短の20歳で旧司法試験に合格したとして、(現実にはそうする人はいないでしょうが)大学を中退して司法研修所に1年半通う。研修所を卒業後すぐにあの弁護士事務所に就職したとすると、最短で26歳くらいか。普通に大学に4年間通ったとなると28歳以上ですかね。

これが新司法試験を前提とすると、Fが法学部卒業に4年、適性試験を受けて既習者コースで2年、司法研修所で1年、あの弁護士事務所で4年ですから、最短でも29歳?(管理人は新司法試験の制度はよく知らないので間違っているかもしれません)。しかし、問題はLSの学費ですよ。実際に、LS出の弁護士は数百万円の借金を背負ってスタートしている人が多いとの日弁連(だったか)の調査結果がありますからね。当面奨学金という借金さえすればLSに通うこと自体はできるのでしょうか?Fの表情が明るくなかったのは多額の借金を背負っているという事情もあったのかもしれません。果たして「こば○。」の真相は…


こんな病院があったら…

「問診?聞く項目は決まっているのだから、マニュアル片手に事務員が聞いてメモしとけ。後で医者がまとめてチェックすれば実質的には医者が聞くのと同じ」

「病院まで来てもらう?そんな必要は無い、電話で十分。処方箋は郵送すればいい。これで全国の患者に対応できて実に素晴らしい」

「数針の縫合なんて定型手術は看護婦でもできるよ。看護婦の手に余る事態が生じたらどうするか?縫合程度でそんな事態が生じるわけないよ」


再投票結果

本日、日本弁護士連合会の会長選挙の再投票が行われました。選挙結果は日弁連HPのトップに誰でも見られる状態で載っています。

票数:Y候補8,284 vs U候補9,720 U候補の勝ち

会数:Y候補6 vs U候補46 同点0 U候補の勝ち

前回(2/5)から大きく異なり、U候補の地滑り的圧勝と言えましょうか。大阪で前回と逆になったのが大きいですが、基本的にこれは弁護士の悲鳴なのです。これを「既得権益を守ろうとしている」とか「ギルドだ」とかいうのは根本的なところで誤解しているか、為にする議論でしょう。なにしろ、確固たる地位(収益基盤)を築き終わった既得権益層はだいたい主流派ですからね。一言で言えば社会にそれだけ多くの需要が無いのです。競争原理だけでは計れない、計るべきではない業種ですから…。米国でもプロボノ(公益活動)系の弁護士は常に不足しているとのこと。数を増やせば良くなるというわけではありません。今後の弁護士たちの懸念は、U候補は非弁行為に甘い(宥和的、いや友好的?)のではないかと囁かれている点ですが、はてさてどうなることやら。広告自体ではなく広告の内容や業務実態で規制をかける、とは言えないのでしょうか?


決選投票?

日弁連会長選挙の再投票の通知が来ました。それには「得票の多い候補者2人について」再投票を行うとあります。つまりこれは「上位2人の決選投票」という意味です。

しかし、そもそもこの選挙は候補者が2人しかいませんでした。同じ候補者で再投票をする、これは「決選投票」ではないでしょう。こういう場合想定して会則が作られていないということでしょうが…

しかもわずか1ヶ月程度の短い間隔で再投票をする、ナンセンスでしょう。それとも、ナンセンスさを払拭するため、候補者は政策をかなりの程度修正するのでしょうか。政策が変わらないのであれば結果も変わらないはず。政策が変わらなくても結果が変わることもあるというなら、それこそ「得票数だけで当選者を決める選挙で、得票同数の場合」と同様に、クジ引きで決めてもいい話です。

再投票でも決まらない場合は再選挙となるそうですが、再選挙でも同じ候補者しか立候補しなければどうするのでしょう。「大連立」でもするのでしょうか?


業界の事情の相違

江戸時代を舞台とした時代劇で、貧乏人が医者にかかれない──薬代が高くて払えないから──という話がありますよね。病気や怪我といった「医者の需要」は、昔も今も普遍的に存在します。しかし、需要があるだけでは医者(病院)は経営していけません。今でも、もし保険制度が無くて全てが自由診療だったら、病院に行って診察や治療を受けた場合の費用は、貧乏人にはとてもじゃないが払えないほどの高額となるでしょう。その状況こそが…



calendar

S M T W T F S
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      
<< December 2017 >>

profile

links

categories

recent comment

archives

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM